活躍する日本人職員 第3回:坂本 明子
坂本 明子
ILOアジア太平洋地域局・技能・就業能力専門家
略歴:福岡市出身。関西外国語短期大学、明治大学政経学部政治学科を社会人入学•卒業後、ロータリー財団の奨学生としてカナダカールトン大学大学院•国際開発学で修士号取得。その後、幾つかの職歴を経た後、英国ロンドン大学教育大学院博士号取得。専門は技能•職業教育訓練政策。ILOではジュネーブ本部に始まり、主に教育•職業訓練資格制度の整備、 訓練機関ではなく仕事を通じて取得された技能の認定に関わる制度、また企業における技能開発と企業競争力並びに労働者の就業能力等の研究に従事、前2分野ではOECD, EC主催の専門家グループのメンバー。ILOの地域事務所に移ってからは、南アジア局そしてアジア太平洋地域局でインド、スリランカ、ネパール、バングラデシュ、東チモール等の国々で技能•職能訓練政策並びに制度形成を支援、同時に農村地域就労者また外部経済就労者、特に若年者の就業能力アップに焦点をあてたプロジェクトの形成と実施に関わる。その後フィリピンマニラ事務所で技能・就業能力専門家とマニラ事務所次長を兼務。学生時代に出会ったカナダ人の夫と結婚20年、一人娘は小学一年生。2014-15年は仕事と家庭のバランスを取るべく東京で休職中。
ILOでの勤務は12年目、ジュネーブの本部に始まりインド、タイ、フィリピンと勤務地はかわりましたがずっとSkills and Employabilityの仕事をしています。日本語に直訳すると「技能・就業能力」とややぎこちなくなりますが、「雇用に視点をおいた教育•職能訓練」または「人づくり」に関わる仕事といった方がしっくりくるかもしれません。この分野に関わる事への情熱みたいなものは自分自身、生涯学習を地でいっている所に原点があるのかなと思っています。ゆうに30代半ばまで教育と労働の世界を出たり入ったり、またあるときは同時平行で歩んでいました。それは時には進路選択の誤りであったり、職場に入ってから新たな刺激を受けて仕切り直しを考えたり、またあるときは授業料捻出のためとか理由はあったのですが、この出たり入ったりの過程で学んだ知識、そこで出会った人達、そこから得た様々な経験からうけた影響は大きくて、今でも教育•訓練(Skills:スキル)の重要性を訴える原動力になっています。国こそ違いますが、義兄たち(カナダ人です)は経営難に陥った精肉業の経営を諦め、一人は30代後半で、一人は40代に入ってからそれぞれ教育の世界に戻り、弁護士へ、そして会計士へ転身していきました。中小企業の経営に直に携わった経験があったことは強みだったようですが、教育•訓練が雇用の可能性を広げるのを身近に感じました。
以前、インドに赴任していた時、ガラス製品の地場産業で有名な地域で、職業訓練のあり方を見直すプロジェクトの形成に関わりました。技術者のニーズがあるにもかかわらず、地域にあった3校の公立の訓練校ではガラス工業に関する技術を一つも教えていませんでした。ただ課題は、今まで無かった訓練プログラムを新しく作って実施するということだけではなく、むしろそれを支える制度の整備の必要性でした。まず雇用と、必要とされる技能のニーズを把握する何らかのシステムが必要でした。実施したニーズ調査では、現行の訓練制度では長過ぎる訓練期間を短くした短期プログラムの開設の必要性、 訓練後の実施遂行能力の成果を重視した訓練カリキュラムへの移行、技能評価•資格授与のあり方の見直し、訓練校の運営能力の向上、また訓練校と関係企業との関係づくり•連携の強化と、現行の公的訓練制度自体の見直しを促すものでした。結局、プロジェクトはガラス地場産業を支える職業訓練の実施に焦点を置きながらも、国レベルで新しく短期訓練プログラムを導入するための政策• 制度づくりの試験的プログラムとしての二面性をもつものに なりました。 ちなみに、近年ではバングラデシュや東チモールにおいて5年越しで様々な制度改革を同時にかつ統合的に進める、雇用ならびに企業生産性向上のための教育•訓練プロジェクトも実施されています。
ただいうまでもなく、教育•訓練によって必要とされる知識や技能を習得するだけでは、自動的に雇用確保に繋がり、又は企業の生産性•競争力に即つながるというわけではありません。習得した知識や技能が使われ、活かされる需要なり環境がいるわけで、ILOのスキルの仕事では供給側のみならず需要側の事情にも関わります。 前述のガラス地場産業では 一つの製品の工程が細かい分業で企業群ごとに行われていて、その工程の末端において毎日同じ一つの工程を請け負う小さな一工場にとっては、 創意工夫してやり方をかえ生産性をあげる、新しいことをやっていくといっても非常に難しい状況でした。そこでは 産業の全体像や市場の動向を把握するのは容易ではなく、把握しても変える余裕がなく、高度な、または新しい技能を持つ者など必要ないとよく言われました。でも同じ工程を請け負っている小さな工場の数もおびただしく、変われないのであれば、工場の存続はコストをいかに下げるかにかかっているようで労働環境も非常に厳しいものでした。ただ、地域産業のリーダーや有志の方々は産業全体の競争力強化のために、様々なレベルで労働者の技能アップが必要だと感じておられました。結局、技能を活かすためには労働者の技能開発にあわせてガラス地場産業のあり方•戦略自体も同時に見ていかなければならないと言う話に発展していきました。
ちなみに地域産業の有志の方々の中には、まだ若干30代の女性の自称企業者兼労働者もいて、都心からも遠く、また伝統技術が主に男性を通じて世襲されていく男社会の中で、その熱意と腕で一目を置かれていました。そんな彼女は技能•技術が地元産業を強くすることを自らの経験から知っていて「目指すはインドのムラノガラスだ」と談笑しながら忙しい仕事の合間にプロジェクトへ惜しみない協力をしてくれました。
ILOアジア太平洋地域局・技能・就業能力専門家
略歴:福岡市出身。関西外国語短期大学、明治大学政経学部政治学科を社会人入学•卒業後、ロータリー財団の奨学生としてカナダカールトン大学大学院•国際開発学で修士号取得。その後、幾つかの職歴を経た後、英国ロンドン大学教育大学院博士号取得。専門は技能•職業教育訓練政策。ILOではジュネーブ本部に始まり、主に教育•職業訓練資格制度の整備、 訓練機関ではなく仕事を通じて取得された技能の認定に関わる制度、また企業における技能開発と企業競争力並びに労働者の就業能力等の研究に従事、前2分野ではOECD, EC主催の専門家グループのメンバー。ILOの地域事務所に移ってからは、南アジア局そしてアジア太平洋地域局でインド、スリランカ、ネパール、バングラデシュ、東チモール等の国々で技能•職能訓練政策並びに制度形成を支援、同時に農村地域就労者また外部経済就労者、特に若年者の就業能力アップに焦点をあてたプロジェクトの形成と実施に関わる。その後フィリピンマニラ事務所で技能・就業能力専門家とマニラ事務所次長を兼務。学生時代に出会ったカナダ人の夫と結婚20年、一人娘は小学一年生。2014-15年は仕事と家庭のバランスを取るべく東京で休職中。
ILOでの勤務は12年目、ジュネーブの本部に始まりインド、タイ、フィリピンと勤務地はかわりましたがずっとSkills and Employabilityの仕事をしています。日本語に直訳すると「技能・就業能力」とややぎこちなくなりますが、「雇用に視点をおいた教育•職能訓練」または「人づくり」に関わる仕事といった方がしっくりくるかもしれません。この分野に関わる事への情熱みたいなものは自分自身、生涯学習を地でいっている所に原点があるのかなと思っています。ゆうに30代半ばまで教育と労働の世界を出たり入ったり、またあるときは同時平行で歩んでいました。それは時には進路選択の誤りであったり、職場に入ってから新たな刺激を受けて仕切り直しを考えたり、またあるときは授業料捻出のためとか理由はあったのですが、この出たり入ったりの過程で学んだ知識、そこで出会った人達、そこから得た様々な経験からうけた影響は大きくて、今でも教育•訓練(Skills:スキル)の重要性を訴える原動力になっています。国こそ違いますが、義兄たち(カナダ人です)は経営難に陥った精肉業の経営を諦め、一人は30代後半で、一人は40代に入ってからそれぞれ教育の世界に戻り、弁護士へ、そして会計士へ転身していきました。中小企業の経営に直に携わった経験があったことは強みだったようですが、教育•訓練が雇用の可能性を広げるのを身近に感じました。
ILOでの人づくり
ILOの人づくりは就職に向けた教育•訓練を通じて、労働者の雇用の可能性をあげること、企業の生産性ならびに競争力向上に貢献することを目的としています。ILO のこの分野での活動の歴史は長いですが、現在は主にソフト面を重視した雇用に関わる教育•訓練の政策形成や制度の整備に焦点をあてています。中進国や途上国では、多国籍企業や大企業を除いてはまだまだ企業による人づくりに関する関心は薄く、就職に向けた教育•訓練は主に政府が行う職業訓練機関に多く委ねられています。ただ、そこで施される教育•訓練と労働市場が求める技能•職能には大きな隔たりがある事が多く、この skills mismatchといわれるスキルの需要と供給のズレは長年の課題です。以前、インドに赴任していた時、ガラス製品の地場産業で有名な地域で、職業訓練のあり方を見直すプロジェクトの形成に関わりました。技術者のニーズがあるにもかかわらず、地域にあった3校の公立の訓練校ではガラス工業に関する技術を一つも教えていませんでした。ただ課題は、今まで無かった訓練プログラムを新しく作って実施するということだけではなく、むしろそれを支える制度の整備の必要性でした。まず雇用と、必要とされる技能のニーズを把握する何らかのシステムが必要でした。実施したニーズ調査では、現行の訓練制度では長過ぎる訓練期間を短くした短期プログラムの開設の必要性、 訓練後の実施遂行能力の成果を重視した訓練カリキュラムへの移行、技能評価•資格授与のあり方の見直し、訓練校の運営能力の向上、また訓練校と関係企業との関係づくり•連携の強化と、現行の公的訓練制度自体の見直しを促すものでした。結局、プロジェクトはガラス地場産業を支える職業訓練の実施に焦点を置きながらも、国レベルで新しく短期訓練プログラムを導入するための政策• 制度づくりの試験的プログラムとしての二面性をもつものに なりました。 ちなみに、近年ではバングラデシュや東チモールにおいて5年越しで様々な制度改革を同時にかつ統合的に進める、雇用ならびに企業生産性向上のための教育•訓練プロジェクトも実施されています。
ただいうまでもなく、教育•訓練によって必要とされる知識や技能を習得するだけでは、自動的に雇用確保に繋がり、又は企業の生産性•競争力に即つながるというわけではありません。習得した知識や技能が使われ、活かされる需要なり環境がいるわけで、ILOのスキルの仕事では供給側のみならず需要側の事情にも関わります。 前述のガラス地場産業では 一つの製品の工程が細かい分業で企業群ごとに行われていて、その工程の末端において毎日同じ一つの工程を請け負う小さな一工場にとっては、 創意工夫してやり方をかえ生産性をあげる、新しいことをやっていくといっても非常に難しい状況でした。そこでは 産業の全体像や市場の動向を把握するのは容易ではなく、把握しても変える余裕がなく、高度な、または新しい技能を持つ者など必要ないとよく言われました。でも同じ工程を請け負っている小さな工場の数もおびただしく、変われないのであれば、工場の存続はコストをいかに下げるかにかかっているようで労働環境も非常に厳しいものでした。ただ、地域産業のリーダーや有志の方々は産業全体の競争力強化のために、様々なレベルで労働者の技能アップが必要だと感じておられました。結局、技能を活かすためには労働者の技能開発にあわせてガラス地場産業のあり方•戦略自体も同時に見ていかなければならないと言う話に発展していきました。
ちなみに地域産業の有志の方々の中には、まだ若干30代の女性の自称企業者兼労働者もいて、都心からも遠く、また伝統技術が主に男性を通じて世襲されていく男社会の中で、その熱意と腕で一目を置かれていました。そんな彼女は技能•技術が地元産業を強くすることを自らの経験から知っていて「目指すはインドのムラノガラスだ」と談笑しながら忙しい仕事の合間にプロジェクトへ惜しみない協力をしてくれました。